ボールなしキャッチボール

 「見立て」とタイトル

 

「見立て」とは?…作品「ボールなしキャッチボール」では、日本庭園などでみられる「見立て」の技法を援用します。「見立て」とは形態、見た目の類似性などから「あるものを別のものに置き換えて表現すること」と説明すれば簡単ですが、より詳しく言うならば「本来脈絡の無い複数の物事が、ある同一の文脈(形式)の中に置かれることで特定の表象性を帯び、新たなイメージを創造すること」です。

 

 

例えば、日本庭園は概して「大海」をあらわしていると言われています。それは①白砂が「海」、岩が「島」など、それぞれのものが指し示しているもの(=表象物)を鑑賞者が意識して見ること、そして②それらを個別に見るのではなく全体的に見ることで、一つの風景(「大海」)を生んでいる状態です。ここで生まれる風景は心象風景と言ってもいいかもしれません。なぜなら、「見立て」は鑑賞者ひとりひとりの恣意的な連想によって行われていくからです。

 

 

 

 

 

 タイトル「ボールなしキャッチボール」とは?…子供の頃よくしていた遊びの名

称です。友人とキャッチボールをするのですが、そこにボールはありません。ボー

ルの存在(軌跡、スピード、所在など)は各人が行う捕球や投球のアクションによ

って自分たちで想像します。

 

 

 しかしそのとき、私は友人と同じボールを見ていた(想像していた)のでしょうか?

私たちは確かにボールを感じキャッチボールをしていましたが、私の投げた

ボールと相手の受け取ったボールはもしかしたら違うボールかもしれません。

 作品について

 概要「ボールなしキャッチボール」は見立てられた風景と実際の風景の2つの

風景をめぐる作品です。2つの離れた会場を行き来すること(思考の往復という意

味でもある)で成り立つひとつの作品であり、それぞれの会場で別々の形式(映像

とインスタレーション)で展示をします。

 

 一方の会場には映像が投影されています。その映像はもう一方の会場のインスタ

レーションに展示されたものを使ったパフォーマンス映像であり、この映像はそれ

らに表象性を付けたり消したりする内容です。鑑賞者は映像とインスタレーション

を往還することで、映像の内容に対応した展示物への表象性の構築、つまりただの

脈絡の無いものに新たなイメージを連想します。インスタレーションでは映像の中

で獲得した表象性とは別の次元での再構成も示します。

 

 異なる形式間の再帰的な思考の繰り返しは、ものに意味を与え新たなイメージを

創造させる一方で、ものの意味と実際のもの自体を切り離していきます。言い換え

れば、表象物として創造されたイメージと実際のイメージが、連想の繰り返しによっ

て関連性を持ちながらパラレル(平行)で交わることの無い不完全な同期状態とな

り、結果として、文脈から切り離されたもの自体の存在が前景化します。

※「ボールなしキャッチボール」は、2つの別々の会場それぞれで連関したものを

見ているようで、実は異なるものを恣意的に創造しているかもしれない、というと

ころからタイトルに付けました。

映像とインスタレーション…この作品は簡単に言うと「創造されたイメージと実

際のイメージを反復すること」です。上図は一例(私が過去に描いた構想メモより

抜粋)ですが、主に映像にて横軸「見立てによる連想」をしていき、インスタレー

ションで縦軸「別次元での再構築」を行っていきます。


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